○死者に対する視点は、盛り込みきれなかった。死者への悼みを昇華する余裕もない時期がこの本を流れる時間となった。
○避難所は日本の縮図だ。
○動かない善人よりは、動く悪人。
○善意で手を伸ばし、欲でつかむ。
○たいていの人間は善人と悪人の中間で、状況によりどちらにも転がる。
○「天地に仁なし」(老子)・・「天罰」発言も人間中心の発想・・・なるほど。
○「人に仁あり」・・・想定外の天に遭遇して初めて人間の力が発揮される。それまでの生き方が、鮮やかな輪郭をとって形になる。
○最初は仁で動いていたはずが、仁が欲に入れ代わる危うさ。
○「東北の人はすごい」大惨事のど真ん中で、200人が整然と動く。(大阪人には驚き)
○欠乏のただ中で、物資が運ばれてくると「要らない」と言ってしまう。ナイーブで真面目。
*「ここは大丈夫だから他のもっと大変な所に持っていけ」そういう話は沢山聞いた。
○「私はガキ(餓鬼)を初めて見ました」極限状態で心が破裂した状態を、他のどんな言葉で補えるだろう。
○泣く人には泣けるだけのエネルギーが残されている。そのエネルギーすらゼロになったとき、人は燃える瞳の操り人形になる。瓦礫のなかの燃える瞳は地獄絵図だ。「あの瞳は映像では伝わらない」
○パニックになってもおかしくない状況で、数人の女性や子どもを除いては、大きな声をだすこともなく、静かに事態の推移を見守っていた。人を押しのけたり、水や食べ物を「われ先に」と奪ったりするようなこともなく、わずかな手持ちの食べ物を周囲の人に分け与える人もいた。(宮崎日日新聞3月18日)
○津波には破壊以外の意志はない。その巨大な掌に押し潰されたらひとたまりもない。しかし、伸ばした指の股に当たる地域は、辛うじて無事だった。津波は町を食っては反吐を吐いた。津波はチューインガムが好きだ。自動車をひと噛みでポイする。わが物顔で日常と馴れ合っている。
○自衛隊のお手伝いが戦争のシミュレーションになる。被災地の瓦礫を片づけて道を造る。基地やヘリポート造成の前に道路を造る。それが訓練になる。長野オリンピックでエアリアルの台を造ったのも雪中の戦闘を想定してのもの。
○戦争の技術が平和利用されるのはありがたい。平和利用の先に戦争があってはたまらない。
○廃虚に取り残されていた鳥居。沖合の小島に倒壊して岩に寄りかかっていた鳥居。鳥居は神域を表す。津波の前では神々も無力なのか。日本人の根っこがゆらいだ。
○避難所にもそれなりの体制ができあがってくる。それと同時に日本の日常であるトップダウンが幅を利かせ始める。
○避難所は既に組織化されており、支援物資をもってきても、担当者が「会議にかける」という手順を踏む。その会議が2時間後。
○店の裏口の側溝に一人浮いていた。警察に連絡したが混乱の中で話が通じない。通りかかった自衛隊車両に声を掛ける「無理だ。もう3体積んでいる」その次の自衛隊がようやく運んでくれた。
○金庫を見つけた。あっけなく開いた。この景色の中で金庫をこじ開ける欲に圧倒された。震災後信用金庫のビルから4千万が奪われた。まだ行方不明者がたくさんいるこの場所で、信用金庫も個人の金庫も空になっていた。「人間には泥棒っ気と大工っ気はみんなある」。一方で拾った財布を届ける人は多い。「この財布の持ち主が無事だといいね」そう言い残して名も告げず去っていく。
*財布には生きていた人の胸の温もりが宿っているから盗めない。金庫は誰のものかわからないから盗んでも心が痛まない。ということだろう。
○津波は移動する壁。水のブルドーザーが、ある地点で踵を返す。線引きに根拠はない。全壊か無傷か、生か死か。もてあそばれる残酷さ。
○避難所生活が長期化すると「下界」とは比べものにならない楽な暮らしという見方も出来る。町ではカップヌードル、おにぎり一個のために2,3時間並んで自費で買う。
○避難所は食料がタダで下着もあって、医者がいる。新聞もテレビもある。「ああゆう生活を一ヶ月もしていたら良くない。人間がダメになる」若い人は食事が終わると、次の食事が運ばれてくるまで布団にくるまって身動きしない。労働経験の乏しい若者がいったん「ラクを覚える」と抜け出すのは厳しい。
○避難所の日常で、食以外の楽しみはない。有名人の来訪に人が群がるのも、炊き出しが付いてくるからだ。
○物資をもらいにくるよう声を掛けても、家があるだけ申し訳ないという気持ちが彼らの足を重くする。避難所と彼らの間をつなぐ余裕が行政には欠けている。
○行政は細かい動きの出来ない像のようなもの。フクロウの知恵を持ち、ピューマの俊足で動く個人が、像の不足を補っている。
○食事の準備で女性たちは当然のように家事をこなした。動く人の数がたりない。「いざとなると男って使えない」
○避難所のリーダーはすべて「自然の流れ」で決まる。
○「流されちゃってさ」その手の会話が当たり前のように交わされている。
○ショックで食べられないのは男。あまりのことに食べるしかないというのが女。ある程度一般化できる法則。
○「高台に逃げる時間はあったけど、安心感の方が強かった」
○あらゆる破壊の形象の前にどう「ふんばれ」というのだ。どう「撤去しろ」というのだ。
○(非常事態の中で)温厚な頭の低い人はモノの役に立たない。
○支援物資を送る機運が市民から出ても、被災地からの要請がない以上、市は動けない。とにべもない。
○センター内は物資の山でも、外の町は窮乏していた。「家があるだけで避難民扱いされなくて、モノもらえへん」
○東北ボランティアの原点「ゲリラ」・・・今まで通りの枠にはまったやり方よりは脇にはみ出てやる方法もある。
○小学校でたこ焼きボランティアを申し出ると調理施設をかしてくれない。電話で聞くとやめろと言われるからゲリラでやった。良い結果が出ると行政の手柄にされる。
○自衛隊は自分たちが調理したものを、食べられない。米の一粒まで被災者の為という「規則」。隊員にはレトルトが配られている。
○避難所の被災者用電話を無料をいいことに近所の住人が毎日通いで使っていた。その現場を被災者が見つけて怒鳴り合いになる。
○避難所の場合、ありがたくない人やモノには「フィルター」がかかる。
○システムとしての「公」は人体に例えるなら関節が硬い。前例、規則、慣習のギブスがはまっている。日常生活に支障はないが、非常時の瞬発力は望めない。
○巨大な「亀」に見える「公」も個人を見れば、良心的なのだろう。なぜ良心的な「私」の集合体が巨大な亀になるのか。
○物資庫で対応した人物は、靴、長靴、ランドセルなどを受け取ったあと、ブルーシートは「あるから、いらねぇ」と言った。
○初期の混乱の次に物資の「溜め込み」と「だぶつき」が始まった。一部の被災者が、自分用や家族用に余計にもらおうとするのが「溜め込み」。首都圏のスーパーから水や卵が消えたのと同じ心理。同時に物資は一部が欠落し、一部で余剰がでた。これが「だぶつき」。
○溜め込み⇒持ち出しを厳しくしよう。⇒物資庫の出入り禁止。だぶつき⇒物資をどんどん出そう。⇒一部の人がどんどん出した。こうして避難所の物資は不透明になった。
○商工会議所の人が全国に支援を呼び掛け、届いた物資は別の避難所へ送る。「みんなが物資を必要としている。俺たちが機動力を発揮する。大活躍だが、届いた物資が避難所をスルーして別の避難所へ? この機動力は本来行政の領域ではないか?
○行政、自治体は支援物資の「該当品目以外は受け取ってくれない」「杓子定規な対応」。I万本の野菜ジュースも受け取り拒否。商工会議所の人は即決で受け入れ。別の避難所へ送ると。避難所の分母に対して物資が多すぎる。受け入れない行政と、どこかでねじれが生じている。
○「力の無い人が、力のある人をひがんで悪いウワサを流す」「人脈があると、あいつ一人が偉そうに、と陰口を叩かれる」
○避難所へ物資を届けるのも「金もらってやってる」「自分で食べてる」などと言われる。
○商工会議所の人脈で大量の物資が届く。トラックがしきりに出入りして他の避難所へも配付する。当事者に近い人は「彼のおかげで豊富な物資に、感謝している」と、近くない人は「何をやっているのか分からない」感じを受ける。
○物資庫の関係者には「物を管理して渡すのが楽しくてたまらない」人もいる。「もしかするとこの避難所生活がずっと続けばいいと思っているのかもしれない」
○避難所から仮設住宅へ移るどさくさに紛れて、工事の口利き料を取るようなケースが一部で横行している。
○一歩間違えれば避難所は心と物の利権のるつぼになりかねない。
○そもそも県立高校は指定された避難所じゃなかった。校長は県に許可を取るより先に被災者を受け入れた。「だって、着の身着のままで逃げてくるんですよ」
○「(震災してから校庭で)火が焚けたのは、高校が避難所じゃなかったからなんですよ」「他の(市立)小、中の避難所はどこも火を焚かなかった」
○県立高校と市立の小・中学校では設置者が異なる。正規の避難所は市立の方が一般的。「ここは県の土地だからダメですよ、なんてそんなバカなことは言えません。市民は県民でもあるし、生徒の親御さんであったり、学校にとって大事な人たち」「来る人は、どんどんお入れした」
○焚き火に関しては風の強さや方角によっては火事の恐れもある。タブーの部分があったかもしれないが、外で避難している方々に対して、火を焚くなとは言えません。極めて自然発生的に火を囲んだんです。すべて自然の流れでした」
○「被災者が高校に集まりはじめた。夜になって車がどんどん流れ込んできた。グラウンドは満杯になった」「災害は最初の3日間が肝心だ。流れで最初の3日間は引き受けた。4日目からは市に任せた。辛いのは最初の3日間だ」
○津波が引いても胸元まで水が残っていた。消防士がボートで捜索中、コンビニ荒らしと遭遇した。若者が数人。中のひとりが悪びれる様子もなく、盗ったタバコを差し出した。「消防士さん、吸いますか」
○「他人より動くこと」そうすれば他人も動いてくれる
○市から来る物資はパンとおにぎりのみ。それで一日をしのぐ避難所もある。自衛隊が作るのは朝と晩のみ。
○自宅避難民もそうだが、最近では仮設避難民も多い。自立した以上、避難所での食料受け取りを自粛するよう市の指令が出ている。国・市からの一時金も出ていない。(商工会議所OBの人は)「そういうケースはわれわれがカバーしています」と言う。夕食時に食料をトラックに積んで配付して回る。
○「物資を扱っていると個人的に物を持っていってしまう人がいる。それで何人もの人をここ(物資庫)から切った」「あの人も自分の欲しい物を倉庫の中にまとめていた。触るなと書いて私物化していた」「本当に真面目な人以外、物資庫には入れない」
○「物資が入らないんじゃなくて、入っているのに渡らないから問題がある」「行政ができないからやってるんじゃなくて、行政ができるように教えてやっている」
○大変な苦労の後に後ろ指をさされる。それでも誰かがやらねば人助けはできない。
○「支援物資には賞味期限の迫ったものが多い。切れたら無駄になるものを、その前に車でよそに配る」
○阪神大震災の際は一ヶ月で出た国の一時金が、今回は二ヶ月以上経っても出ていない。
○「記憶は嘘を言う」
○「○○市公営住宅、中学校住宅、入居者の皆様 差出人:○○市社会福祉事務所《避難所での食料党の受け取りについて》 皆様には仮設住宅での生活にも慣れてきたころかと思います。さて、仮設住宅へ入居された皆様には避難所での食糧受け取りや入浴施設の利用は慎むよう連絡いたします」実際に配られたというビラ。
○社会福祉事務所「ビラは確かに配った。自粛は禁止ではない」(毎日箸を持って避難所に食べに来る仮設の人もいる)
○つまり、少し余裕のある仮設の人は避難所で毎日食べるのはよそう。まるで余裕のない仮設の人は堂々と避難所で食べよう。
○だれ一人全貌を把握できないし、事態を一本化して語れない。(それはそうであろう)
○スローモーションの行政が動き出すまで待っていられない。行政は組織に属する人が自分で判断することを許されていないため、臨機応変さがない。上に聞く、上の上に聞く。
○避難所に肉や野菜を届けようとしたら、その量では平等に分けられないからと断られる。
○自主的に動いたのは、看護師や介護士などのボランティア団体。
○支援物資を取りに来た被災者に「あなたを信用しないわけではないけれど、こちらで公平に配るので」と物資を渡さない。
○「あなたは目の前に埋まっている人を助けないのか。全部見つけてからいちにのさんで掘り起こすのか」
○震災時に日本の公が機能しないのは、日本の構造的な問題。日本の法律では、役人はたとえ間違いを犯しても個人で責任は問われない。だから組織の言うままに動くことで責任回避をする癖がついてしまっている。
○これはシステムの問題。自分の答えを出すことを学ばない。聞き分けのいい子を増産する教育の問題。
○いい子であることによって、自分の責任から逃げている。国が言うことだからそれでよいのだと、自分の頭で判断しない。
○日本はのんびりした土壌で災害時にもパニックにならなかったという側面もあるが、同時に”市民としての誇り”を失っている。行政にいいように扱われても、経済さえ潤っていれば何でもイイ、という”国民性”になってしまった。
○21世紀の日本人はシステムの中で判断停止に陥った人たち。
○ボランティア体験がマイナスになることもある。自分よりも弱い人たちの面倒を見た結果が二つに別れる。「その後の自分の励みになる」「現状に居心地の良さを感じて停滞してしまう」被災の現場に飛び込んで行くことによって、一時的な判断停止を自分に許してしまう。「ボランティア依存症」「モラトリアム」
これを暴露本と捉えるのは書かれたことが都合の悪い人、団体、暴露本というまで堕ちてはいない。
荻野アンナに過去の原発擁護、推進的発言が過去になければもっと素直に読めたと思うのだけれど、それでも言葉に力はある。今の日本を被災地から抉っている。
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